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プロフィール

 

ネイリスト・講師
太田 三結 (おおた みゆ)

1978年1月生まれ 岐阜県可児市出身
最寄りの駅に特急は停まるが学区に信号のない、のどかな田舎出身です。

小学校には山があって、全校生徒が1000人以上いる大きな学校でした。
子ども会の遠足は必ずモンキーパークかリトルワールド(笑)

取得資格

・2010年11月 ネイリスト検定 1級
・2011年 2月  衛生管理師士
・2012年 7月  ジェルネイル検定 上級

・ファンタジーネイルズ ナショナルエデュケーター
・エアジェル エデュケーター
・スパルーチェ エデュケーター
・DOUBLE180 トレプロインストラクター
・NAILEXPO 2010 ネイルケア学校対抗優勝

・パーソナルカラー検定 モジュール2
・色彩検定 2級
・アロマテラピー検定 1級
・メイクセラピー検定 3級
・日本エステティック協会認定フェイシャルエステティシャン
・ビジネス能力検定 3級
・サービス接遇検定 1級

 

小学校

3人兄弟の1番上で負けず嫌いでした。

小学校の時は、マラソンで学年7位、プールが大好きで たくさん泳げる男の子がうらやましくて100m泳げるようになったり、息継ぎなしで25m泳いでたりしました。

また 母の勧めもあり、習い事でピアノとバイオリンにも通っていました。

この時から爪を噛むくせがあり深爪でした。

「小指の爪を7mm伸ばすと夢が叶う」と言う小学生あるあるで爪を伸ばそうと頑張りましたが、5mmで挫折(笑)
特に嫌で仕方ないことはなかったですが、やめないといけないとは思ってました。

中学・高校

中学・高校では、学校が嫌でサボることしか考えていなかったので、いつも仲のいい友達と遊んだり先輩と鬼ごっこをしていました。
この時の友達とは何年も会っていませんが、会わなくても「親友」と思える関係です。
電話すると何時間も長電話してしまいます。

高校を卒業してからもやはり深爪が気になり マニキュアを塗ったりしましたが、あまり意味もなくチップを貼って深爪を隠していました。
その頃はまだネイルサロンなんてなくて、あっても東京や大阪、名古屋などの都会にしかなかったと思います。

結婚

20才で、今の夫と出会い3ヶ月で結婚。

21才で1人目の子を産み、25才で2人目、27才で3人目を産みました。
2018年にとうとう20周年を迎え、
2013年10月に25周年を迎えました。

20代は子育てをしながらパートに行っていました。
内容は、事務・工場のライン・パンの配達・お花屋さんのレジなど様々でした。

あの時、とにかく嫌だったのは子どもを言い訳にして仕事を休むこと。
「これだから主婦は…」と言われるのも嫌だったので、仕事を休むことがないようにとにかく気をつけていました。
連絡がくることは仕方ないことなのですが、子どもも元気で病気しない子だったのでがんばることができました。

ここも負けず嫌いだったと思います。

ネイリストになる決意

3人目が生まれてお宮参りに行くときに、初めてネイルサロンに行って
初めてスカルプをしてもらいました。

その時にあまりに簡単に爪を作っていくのを見て
「私でもできるんじゃない?」
「自分でできたら材料費だけですむじゃん♪」
という気軽な気持ちでやってみましたが、できるわけもなく…(笑)

ちょうどその時、同じように独学でネイリストを目指していた主婦の友達ができました。その友達が検定を受けたのですが残念ながら不合格。
そんな姿を見てここで「お金と時間をかけてでも1発で受かって合格するぞ!!1級まで行くぞ!!」と決意しました。

専門学校

「お金が貯まったら学校に行く」と決めて31才で専門学校に入学しました。
専門学校にしたのは、自分に甘いので 嫌でも行かないといけない環境にしないと行かないと思ったからです(笑)
あとはメイクもエステもしたかったから(笑)

当時、長男が小4、次男が小1、下の子が年少でしたが、名古屋まで毎日通いました。
保育園の行事や呼び出し以外は休まずに行ったのが自慢です。
学校に行っている2年間で資格はすべて取り、ネイリスト検定もすべて1発で受かることができました。
この2年間はとにかく子供に「やればできる。頑張れば報われる。」ということを見せるために頑張っていたと思います。

 

名古屋のサロンへ就職

学校を無事に卒業したものの、そのあとが大変でした。

卒業式の日が東北の震災の日。親戚が被災して夫の会社が1ヶ月も休みになり、「主婦で子持ち、未経験」ということで働くサロンもなくとにかく必死でした。
ようやく名古屋で働くサロンが決まり、それからはとにかくサロンワークを学びました。

また検定対策の講師も務め、3級 100%、ジェル初級 70%、2級 50%の方を合格に導くこともできました。

リアンソリデをオープン

サロンワークをしながら認定講師の勉強もしてきましたが、
2012年10月、独立して自宅にネイルサロンを開きました。

夢は「たくさんの人にネイルをしてあげること」

名古屋で勤務していた際は、朝8時に家を出て、帰りは0時過ぎることも当たり前な日が続いていました。
でも家族との時間も十分に作ることができ、

「名古屋に行かなくても名古屋のようなネイルができる」
「太田さんじゃなきゃダメ」

と言ってくださるたくさんのお客さまにネイルをしながら楽しく過ごしていました。

大きな挑戦、失敗


1年で予約が取れないサロンになり、お客さまにご迷惑をかけることが多くなりました。
「たくさんの人にネイルをしてあげる」ためには
お店にしてネイリストがたくさんいたらいいんだよねって思って店舗を出しました。

でもなかなかうまくいかず・・・
たくさんの方に来ていただけて
新卒のスタッフも技術を身につけて
売り上げも1人では出せないくらいものすごい上がっていったのですが
経営に向いてなかったんです。

私は完全に職人肌なんですね。
ネイルをしているのが楽しいので
お金のことやスタッフのことを考えることがとても難しかったんです。
だから想定外なトラブルが多かったです。
我慢強くて中途半端が嫌いだったんですけど
なんとかしたくて、日付変わるまで帰らないで考え事してる日々が多かったです。

そして今・・・

「これは私は向いてない‼️」って
ある程度のところで区切りをつけて自宅に戻しましたが、
当時店舗を出す時にお客さんで来てくれていた占い師さんが
「2年で閉めることを考えてね」
って言われたんですけど、
本当に2年でした(笑)

でも戻ったらすごい調子が良くなって
当時スタッフを育ててたことが生かされるようになって
講師の道が大きくひらけてきました。

経営は向いていなくても
講師の道は向いているというアドバイスをもらって
「たくさんの人にネイルをしてあげる」ということを
「全国のネイリストさんに技術や運営のノウハウを伝える」
ということで叶え続けることができるようになりました。

堅苦しさのない、リラックスできる空間で、笑いの絶えない時間を過ごしていただいています。
みなさま、こんな私ですが、よろしくお願いします。